2007年02月03日

アメリカの情報自由法

今は閉鎖されたメルマブログ「新聞批評」で、アメリカのメディア事情について書きました。

「知る権利の実現」(2005年06月07日)

「あらゆる自由は知る権利から」(1948年)、「報道の自由が守る『知る権利』」(1953年)という新聞週間の代表標語がある。

戦後間もない1948年に「知る権利」が意識された日本で「知る権利」を実現するために必要な法律は、実は70年代に入ってから。

この動きはまずアメリカのジャーナリストたちの声から出た。

アメリカでは政府権力も巨大化、肥大化して、それにつれて情報を秘匿するようになってきた。

特に第2次世界大戦が始まって、大戦後において、国際情勢に関する情報を隠すことで、知る権利や情報の自由という主張が出てきた。

ジャーナリストの職業団体「シグマ・デルタ・カイ」は「情報自由促進委員会」を創設、アメリカ新聞編集者協会もこれを調査した。

そこから連邦議会も動き出して、アメリカにおいて66年、情報自由法が制定された。

72年、先ごろメディアを賑わしたウォーターゲート事件が発覚。

6月2日付ワシントンポストは匿名情報源が元FBI副長官だったことを明らかにしたが、この事件は当時のニクソン米大統領再選を画策するグループが、ワシントンのウォーターゲートビル内の民主党全国委員会本部に侵入し、盗聴器を仕掛けようとして逮捕されたもの。

これをワシントンポストの2人の記者が報道で追及、74年、とうとう大統領が辞任に追い込まれた。

この年に、66年に制定された行政機関が拒むことが出来た名ばかりの情報自由法を改正することになって、名実とも「知る権利」を実現する法律となった。

ところが日本では、このような動きはジャーナリズムでは生まれなかった。

72年、外務省の沖縄密約電文漏洩事件が毎日新聞にすっぱ抜かれ、毎日記者が逮捕、外務省の女性職員との関係にメディアの関心が移った。

このことが影を落としたのだろうか、「知る権利」はアメリカの情報公開の実情を法律家が紹介する形で展開されることになった。

日米の違いを見ると、日本のジャーナリズムにはその使命が感じられず、高給貰ってサラリーマン化しているのかと思いたくない。

格好つけて「知る権利」で逮捕、会社を首になるより、家族を抱える身、記者クラブで○○やっていたほうが楽しいのかも。
posted by 新聞批評 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 米国メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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